タイムトラベルの倫理――「アバウト・タイム」をめぐって(ネタバレ注意)

 

注意:以下、映画「アバウト・タイム」(2013)のネタバレをふんだんに含んでいます。

 

  • 1.過去改変と改変の過去
  • 2.改変の過去と他者の存在
  • 3.他者の存在とタイムトラベルの消去
    • [参考文献・資料]

 

タイムトラベルに倫理的な問題を帰属させることができるとすれば、その過程は他者の存在を通過せずにはいられないだろう。

ひとは、タイムトラベルを行うことによって、たとえば過去を改変することができる。そうすることで、ひとはあらゆる残酷な行いを「なかったこと」にすることができるのである。したがって、ここにはどのような倫理的な問題も発生しえないように見える。しかしながらその考えは誤りである。「他者」の存在(他者の命、未来、人生)を顧みたとき、われわれはそこに潜むある重大な問題を発見することができる。映画「アバウト・タイム」について考えながら、その地点に至るまでの道筋を辿ってみよう。

 

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代替現実の時代――拡張現実の時代・前夜

 

(はじめてブログを開設したということで、試験的に記事を投下してみます。以下の文章は、ある講義の課題レポートとしてぼくが今年の2月ごろに提出したものをそのまま転載したものです。)

 

  • 1.『ピクセル』が示す過去と未来
  • 2.〈代替現実の時代〉とARG
  • 3.〈代替現実の時代〉とソーシャルゲーム
  • 4.結論
    • [参考文献・資料]

 

 テクノロジーの急激な発展は社会のあり方を一変させる。農耕革命や産業革命はもちろんのこと、特に戦後の「第三の革命」としての情報技術のめざましい発展=情報革命は、人々の生活態度をめまぐるしく(かつ継続的に)変化させている。

 情報技術の発展はつねにコンピューターゲームの変遷とともにあった。評論家の中川大地は『現代ゲーム全史』において、両者の歴史的な関係を、見田宗介が提起した「三つの反-現実で規定される一連の戦後史観」になぞらえて網羅的に描き出している。「前史的な段階から日本の敗戦復興期にあたる〈理想の時代〉にかけて」、「戦前・戦中の計算機技術そのものの黎明とともに、コンピューターゲームの起源となるいくつかの事例が発生し」、「日本の高度成長期にあたる〈夢の時代〉」には、「アメリカ東西両海岸の研究機関等で勃興したハッカーたちのコミュニティが、カウンターカルチャーとしてのゲームを育んでいった」。「世界を席巻するに至った『スペースインベーダー』……はとりもなおさず、〈虚構の時代〉の最初の5年期にあって、ビデオゲームこそがその時代精神を最も端的に体現する文化産物」であることを示すものであり、〈虚構の時代〉終期には「『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』などのヒット作を経て、様々なデジタルゲームサブジャンルが成立していく」(中川 2016:12-13)。

 さらに中川は、〈理想の時代〉〈夢の時代〉〈虚構の時代〉に続く1990年以降の時代区分を、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』における用語法を援用して、〈仮想現実の時代〉(1990年代前半~2000年代前半)および〈拡張現実の時代〉(2000年代後半~)と名付ける。リアリスティックで行動自由度の高い3Dゲームに「没入」する態度から、携帯ゲーム機を持ち歩き、現実を「拡張」する態度へ。〈ここではない、どこか〉=〈外部〉へと人々を誘う〈仮想現実の時代〉から、〈いま、ここ〉の現実性を多重化する〈拡張現実の時代〉へ*1。「同時代に浮上した……情報技術上のコンセプトに由来する、……「現実」を修飾するこの命名法には、〈虚構の時代〉にゲームが先導した情報技術の普及により、テクノロジーは何らかの反-現実を志向する観念を表象するものというよりも、人々の身体的な現実感そのものを直接的に合成したり変容させうるツールとなったことが、見田の用語系との対称性を担保しながら端的に示されている」と中川は語る(中川 2016:14)。

本レポートは、〈仮想現実の時代〉までの社会史観を中川の「文明の遊戯史観」に依拠しつつ、2015年に公開された映画『ピクセル』における描写と、「ARG(代替現実ゲーム)」と呼ばれる新たな種類のゲームを手掛かりにして、〈仮想現実の時代〉から〈拡張現実の時代〉への移行期としての(『現代ゲーム全史』が見落としている)現代=〈代替現実の時代〉を描出することを試みるものである。

 

*1:「このとき、〈現実〉に対置し得るものはかつての意味での〈虚構〉ではあり得ない。かつてのように……〈ここではない、どこか〉=〈外部〉に消費者たちを誘う「仮想現実」ではもはやあり得ないのだ。……そんなときに〈反現実〉として作用するもの、それが私たちの想像力によって彩られ、多重化した〈いま、ここ〉の現実、すなわち〈拡張現実〉なのだ。」(宇野常寛『リトル・ピープルの時代』幻冬舎文庫、452-453頁。)

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